生い立ちと転換点
さて、後藤先生が経営されている旅館「山の宿 新明館」には目玉となる施設があります。非常に有名ですのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、それは『洞窟風呂』と呼ばれるものです。この『洞窟風呂』、その名のとおり洞窟の中に温泉が湧き出しているという物なのですが、これは人工的に作られたものです。後藤先生20代の時、ノミとかなずちだけで旅館のすぐ裏にある山を掘って作ったそうです。3年間ひたすら掘り続けて、なんとか人が入れるようなモノに仕上がりました。また、その後も中を拡張しながら掘り進め、現在の形になるまでには約10年の歳月を費やしたそうです。この事から『洞窟風呂を掘った男』というあだ名までお持ちになられています。
「山の宿 新明館」は後藤先生の祖父にあたる方が、明治の初め頃に創業した黒川温泉の老舗旅館です。お父上は獣医としてご活躍され、戦時下には陸軍の軍医をお勤めになりました。少年時代の後藤先生は小学校を卒業すると、お父上の職業を継ぐべく阿蘇農業学校にて獣医学を学ばれたそうです。旅館は後藤先生の祖母にあたる方が切り盛りしておりました。ところが終戦を迎え、事態は一変します。戦後の混乱の中、旅館のお客様は激減し、加えて食糧難を向かえ、後藤少年はやむなく学校を中退し、一家を支えるために働くことになりました。これが旅館業に身を投じるきっかけとなりました。その後、苦しいながらも何とか湯治客を相手に旅館を続けて行く事になるのですが、後藤先生の並ならぬ努力と熱心な勉強によって客足が次第に増えて行きました。もちろん先ほどご紹介した『洞窟風呂』の効果もあったことでしょう。後藤先生はより一層の勉強を重ねるべく全国の観光地を視察していました。その際、何度となく訪れた京都のお寺を観察していたとき、フッとある事に気がつきました。今から25年ほど前の事です。京都には色々な日本庭園があります。平安貴族が好んだ庭から、鎌倉武士の住まいに併設された庭までその歴史を感じるだけの多種多様な庭園が存在します。その中でも当時は剪定されたマツの下には池があり、鯉が泳いでいるといった典型的な日本庭園が人気を集めていました。ところが、そうした人工的につくられた庭園にだんだん観光客の足が向かなくなっている事に気がついたのです。その代わりに人々は自然の木が植えられている庭を持つ寺院に向かっていると。このことがこの後の後藤先生の人生と黒川温泉の行く末を左右することになって行くのです。