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2007年04月 アーカイブ

2007年04月15日

NPO法人柏市インホメーション協会 石戸理事長 講演会

NPO法人柏市インホメーション協会 理事長 石戸新一郎氏 講演会を聞いてきました。

この講演会は、今市商店会連合会青年部様のご設営により、実現した講演会です。
内容は、柏市商店街に起きてきた危機的状況を強いリーダーシップのもと地域活性化に、尽力し、成果を出されてきた氏のお話は、驚くほどの説得力と、現実的お話を伺うことができました。
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特に印象的なおはなしは、コミュニティー・アイディンティティ(ほこりのある街)を追求していくこと、
どのような街にしたいか、より具体的にイメージをもち、どんな人たちが来る街なのかターゲットを明確にもつことが重要であるとお話頂きました。
そして、それらをイベントとして発信し、さらに情報伝達力を強化していくことが一番重要であると講演会の最後をを括られました。
新たにまちづくりへの思いを奮い立たされた、そんな一日でした。

2007年04月17日

4月15・16日と下田に仕事で行ってきました。

下田に仕事で行ってきました。
途中の休憩(道の駅 天城越え)で、あのわさびソフトを食べてみました。
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これがなかなかあうでわありませんか!
甘さの中に、わさびどくとくのツーんと抜ける感じがたまりません。

宿泊した下田ビューホテルからの、外裏海岸の眺望です。
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この景色に、癒され・・・・・・・・

2007年04月24日

小野崎一徳写真帖 表紙

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足尾銅山400年の歴史のなか、先代の小野崎一徳(1861-1929)が残した明治・大正時代の写真から紹介していきます。
現在、私の叔父、小野崎敏著書の「小野崎一徳写真帖」足尾銅山から産業遺産としての観点から紹介してまいります。

又、現在の足尾の魅力や、グルメスポットなどを織り込みながら、運営していきます。

ムーバブルタイプでのブログをスタート

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バカ四代目の日記をスタートします。

足尾銅山の歩んだ歴史 足尾のはげ山の理由

足尾のはげ山の理由

はげ山の存在を、鉱毒(精錬所から出た煙「亜硫酸ガス」)によるものだけだと思っている方が非常におおいようです。
鉱毒問題も理由の1つですが、他に理由が4つ、全てで5つの理由から足尾銅山のはげ山(日本のグランドキャニオン)が存在す理由となる。

・銅の鉱石から、1㌧の銅を精製するための燃料の薪は、同じ重さの1㌧必要され、山の木、約一町歩(いっちょうぶ 9917.36㎡ )(10反)の木材を、1日で必要とした為である。


・山が丸裸になった原因のもう一つは山火事だった。山の火災は伐採後芽生えてきた芽を焼失させ発芽力を低下させた。この山火事の中で一番大きかった火事は1887年4月8日に松木村から発生した。これは祭火が風にあおられて燃え広がり約1100ヘクタール焼失した。これは中禅寺湖の大きさに匹敵する大火事であった。このような山火事が数回起った為である。

・足尾銅山の約400年の歴史で、長さ述べ約1200キロの坑道が掘られており、東京~博多までの距離にあたります。
その坑道全てに、崩れぬよう木材を組む必要があった為である。
勿論、専門の職人がいた。

・足尾銅山全盛期の住まいの多くは、古河の提供する社宅、坑夫長屋が数多く存在した。「足尾1000軒」とも言われた長屋の存在である。
それら全てが木造であり、また多くの材木を必要とした為である。

現在は、NPO法人 足尾に緑を育てる会などが、中心となって足尾の山に緑を復活すべく活動している。


以上

足尾のうまいホルモン屋

足尾のうまいホルモン屋情報

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入口に赤提灯、肉の煙で程よくてかっている木の壁、座る事に一瞬ためらうせんべい座布団、分けもなくでっかいテレビ、忙しいと注文を聞こえないフリをするおばちゃん、足尾の昭和初期からそのまんまです。
ほんとに、驚くほど安くてうまいホルモンや、(末広)です。
私の祖父の代から営業しており、祖父もよく食べに来たと、おばちゃんに言われました。
おすすめは、しろ(腸)、あぶら付いてるの付いてないのって・・・(ついてます。)
そして、かしら(豚の頭の肉)、肉にうまみがあります。
ちょっと変わった軟骨(豚ののど仏)軟骨が円を描いています。
こりこりしててたまりません。
※つけたれもグーなんですよ。
参加する方への注意事項。
①煙で前が見にくくなり、酔ってくると誰と来店したか忘れます。
②勿論洋服は、くさくなります。

以上、是非足尾にお越しの際は、ホルモンディナーも最高ですよ。

セルジオ越後氏 講演会

明日4月25日(水)は、我々の所属する団体の例会で、セルジオ越後氏 講演会である。
内容は、スポーツを通した街づくりで、演題は、「スポーツで新日光ブランドを」である。
※ここで言う「ブランド」とは、地域の誇りをさす。

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ゲストに、コラムニストの えのきど いちろう氏や、F3ドライバーの塚越広大氏も参加、豪華なかおぶれがそう。
報道関係者も多数取材予定です。

準備は、大忙しだが、楽しみである。

結果は、後日、報告します。

2007年04月26日

足尾銅山 著書 小野崎 敏

足尾銅山 著書 小野崎 敏

足尾銅山 著書 小野崎 敏は、私の叔父に当たる。
足尾の歴史を多くの方に紹介したいと、叔父に了解をえてweb上で内容を紹介する。
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はじめに

私が生まれて初めて見た写真は、おそらく祖父・一徳の肖像写真であろう。
私は昭和9年(1934)に、足尾の小野崎写真館で生まれた。その生家のニ階にある客間には、額縁のなかに入った大きな肖像写真が二つ並んでかざってあった。祖父・一徳の写真と、もうひとつは古河市兵衛のそれであった。記憶はいつごろから始まるのかわからないが、少年期からこの二葉の写真にかこまれて育っていった。家は足尾北部、古河橋ちかくの赤倉商店街の中央に位置し、製錬所の煙突がすぐちかくにあって、亜硫酸ガスの臭気が絶えることはなかった。ちかくの山は禿げ山ばかりだったが、子供たちには格好の遊び場だった。
一徳は昭和4年に没したので私は生前の出会いはないが、一徳の写した写真については時々見ることはあった。
昭和30年ごろの学生時代に、古書店で『風俗画報』増刊号の「足尾銅山図曾」を求め、そこに60枚あまり掲載されていた一徳の写真と出会った。なかには初めて見たものも多く、探し出して足尾に持ち帰りたいという志を立てて、以来、収集を始めることにした。それから50年、今までに収集したもの、借用して複写したものを合算すると手元の写真類は約1000枚になる。

黄金の国ジパングの伝説はさておき、江戸から明治にかけての日本は世界有数の銅生産国であり、最先端の金属製錬技術をもっていた。江戸期においても、生産された銅は輸出され、外貨獲得の重要な資源であった。特に明治期に入り、銅は殖産興業・富国強兵という時流のなかで生産を拡大し、日露戦争が終わった明治40年ごろには国内生産4万トンのうち3万トンが輸出され、その外貨で機械・武器などを購入して日本の近代化は進められたのである。足尾にも生産のため次々と先進技術が導入され一大産業都市と化したが、反面、鉱害や労働運動など多くの問題が出てくる。
小野崎一徳は明治16年(1883)から昭和4年まで、約45年間にわたり、足尾銅山の古河御用写真師として変転する銅山の内部と周辺を撮影した。その内容は採鉱・選鉱・製錬などの現場だけでなく、森林伐採や工作・土木分野もあり、鉱山や町の行事・冠婚葬祭、一般写真それに公害防止工事の現場記録など多岐にわたっている。
レンズを通して、メカニックな記録として残された一連の写真は、過ぎ去った時間を保存し、歴史の過程を検証する証拠物件となり得る。事実、100年間あまり埋もれていた一徳の写真を並べてみると、単に足尾銅山の歴史のみならず、明治・大正期における私どもの先輩たちによる国づくりの息吹が聞こえてくる。これらを読み解くことによって、従来ともすれば文献資料を基本として語られてきた多くの先人たちの発言や文章の情報について、その是非を確認することもできるのではなかろうか。
また、昨今、日本の近代化を支えた鉱山などの産業遺産を保存し、世界遺産として登録する活動が各地で盛んになっている。足尾には、日本の産業革命の先駆けとなった沢山の資産が残っている。また、日本で最初に実施された公害防止関連の遺産もある。本年秋、地元市民が中心となって「足尾銅山の世界遺産登録を考える会」が発足し、その準備活動も始まった。一徳の写真は、それら産業遺産の往時の様態を補完する記念写真として十分に活用できるものである。
そうした問題提起も含めて、本書をまとめてみた。


これまでに収集・複写された小野崎一徳の写真帖などは、次の通りである。
『足尾銅山古河写真帖』―明治20年以前―7枚
『足尾銅山写真帖』ー明治20年代―50枚
『足尾銅山写真集』ー第4回内国勧業博覧会出品―明治28年以前―29枚
『古河鉱業写真帖』―ベルギー・リージュ万博出品ー明治38年以前―13枚
『足尾銅山写真帖』―鉱毒予防工事現場写真―明治30年―64枚
(根利山関連写真)―明治〜昭和初年―90枚
『古河鉱業写真帖』―大正天皇日光行幸記念ー大正2年ごろー 6枚
『海江田侍従来山記念写真帖』―大正7年ごろー36枚
『社長来山記念写真帖』―大正14年ごろー46枚
『社長来山記念写真帖』―大正初年ごろー22枚
(単品写真)―明治~大正期―約100枚
(写真絵葉書)―明治~昭和初年―約600枚

サイコー セルジオ越後氏 & えのきどいちろー氏

サイコー セルジオ越後氏の講演会無事終了しました。

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地域まちづくり団体の中でも、今回は、青年団体の方々に、講演会の案内をしました。
参加者100名を越え、会場もいっぱいで熱気で包まれました。
「いまある縦割の組織を、スポーツというコミュ二ケーションツールを利用し、本当の仲間を増やしましょう」シンプルですが、今まで発想もしなかった、アイディアをユーモアを交え1時間30分の講演会、頭を叩きのめされたような時間でした。
われわれは、真の価値在るクラブチームをセルジオ越後氏と共に目指します。
講演会の中でのコメントで、「大切なのは、勝手に部屋の冷蔵庫を開ける仲間だ!」とお話になっていました。
日光に引っ越の際には、部屋の冷蔵庫を開けさて頂きます?。

ゲストでお越しの えのきどいちろー氏もサイコーでした。
「日光で俺たちのストーリーをきずこうぜ!」 感動的でした。

セルジオさん& えのきどさん 講演会+懇親会+2次会と参加本当にありがとうございました。


地域に影響を与えるネットワークを構築し、価値のあるネットワークが、行政、議会、地域を巻き込み、共通の目的をもって、それを実現すべく真の協働です。
セルジオ越後氏趣旨に賛同いただき、ご講演を賜りました。
講演会の内容と致しましては、
・セルジオ越後様が市民から愛されるクラブチームの在り方を、この日光から発信される思い。
・スポーツ競技の横のつながり、地域密着とネットワーク、そしてまちづくりとは。
・市民のまちづくりへの参画とは。
上記を踏まえて頂き、お話を伺いました。


懇親会の会場の一体感・・・・・・・・・・
最高の一日でした、そして、新たなストーリーの始まりです。

2007年04月29日

山椒の季節!

ゴールデンウィークに入り、足尾銅山観光売店横の庭に、山椒の葉が出ました。
私も小さいこらから、山椒を煮る匂いの中で、このシーズンを幾度も過ごした想い出が蘇ります。
昔かしよくみた光景は、山椒を煮ては隣近所に配り、なんとお土産に、隣の家の山椒煮をもらってくるということがよくあり、家庭の味付けによって少々かわる、風味や味付けを楽しみながら競い合っているようでした。
足尾と言えば、ん~ 山椒も風物詩の一つです。
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売店のお姉さまがたが、山椒を取っていたのでインタビューしました。
山椒取がなぜか趣味で楽しいそうです。毎年このように収穫した以外に、1~2㌔別に購入するほどだそうです。因みに㌔1万5000円前後  ワ!高い・・・・
山椒煮は、買ったのじゃおいしくない、辛味も少なくなるし、やっぱり手づくりがいちばんよ!と言っていました。
現在足尾でも、以前のように山椒を自分で煮る人がへり、なんだか寂しいともいっていました。

実は、私は大の山椒好きです。 おにぎりに最高!つまみに最高!目にも最高!(目に効くそうです。)

山椒を煮る文化は、受け継いでいかなくては、、、、、
因み2:私は、煮れません。

そういえば、先日行った下田でわさびソフトクリームが、売れていた!
そうだ!山椒ソフトで行くぞと、生で山椒の葉を食べてみた、ほのかなシビレが心地よかった。
因み3 山椒ソフトは、実行していません。

2007年04月30日

足尾駅まつり

足尾駅まつり
4月28日~5月1日まで、足尾駅まつりが、開催されています。
古河鉱業や、わたらせ渓谷鉄道の協力により、足尾の昭和初期に活躍していた車両が、
な・な・なんと、再び魂をこめられ、動いていました(DJとよんでました)。
中には、うごかな車両もありますが(キハ35 70)、展示場になっていました。
ん~、このノストラジックな感じが、本当に似合うまち足尾です。
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足尾の歴史を見つめてきた 山の神

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山深い足尾の谷々にも石器時代から人々が生活していました。
住民のおおくは、災難や厄病などをすべて魔の仕業と考えていたようです。
山の神はその魔を除き人々の幸せを守る神この神をを祭った処が、山の神という地名で今でも足尾の処々にのこっています。
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プロフィール

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名前
Onozaki
生年月日
1970年9月29日
正座
天秤座
特技
具志堅ジャンプ
座右の銘
焼け石に鮭

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