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足尾銅山の歩んだ歴史 足尾のはげ山の理由

足尾のはげ山の理由

はげ山の存在を、鉱毒(精錬所から出た煙「亜硫酸ガス」)によるものだけだと思っている方が非常におおいようです。
鉱毒問題も理由の1つですが、他に理由が4つ、全てで5つの理由から足尾銅山のはげ山(日本のグランドキャニオン)が存在す理由となる。

・銅の鉱石から、1㌧の銅を精製するための燃料の薪は、同じ重さの1㌧必要され、山の木、約一町歩(いっちょうぶ 9917.36㎡ )(10反)の木材を、1日で必要とした為である。


・山が丸裸になった原因のもう一つは山火事だった。山の火災は伐採後芽生えてきた芽を焼失させ発芽力を低下させた。この山火事の中で一番大きかった火事は1887年4月8日に松木村から発生した。これは祭火が風にあおられて燃え広がり約1100ヘクタール焼失した。これは中禅寺湖の大きさに匹敵する大火事であった。このような山火事が数回起った為である。

・足尾銅山の約400年の歴史で、長さ述べ約1200キロの坑道が掘られており、東京~博多までの距離にあたります。
その坑道全てに、崩れぬよう木材を組む必要があった為である。
勿論、専門の職人がいた。

・足尾銅山全盛期の住まいの多くは、古河の提供する社宅、坑夫長屋が数多く存在した。「足尾1000軒」とも言われた長屋の存在である。
それら全てが木造であり、また多くの材木を必要とした為である。

現在は、NPO法人 足尾に緑を育てる会などが、中心となって足尾の山に緑を復活すべく活動している。


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生年月日
1970年9月29日
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2007年04月24日 06:44に投稿されたエントリーのページです。

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