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江戸期の採掘から製錬まで

足尾銅山の鉱床は約1500万~1000万年前ごろにできたものといわれ、母岸(鉱脈を取り巻く岩盤)は流紋岩で巨大な漏斗状をしている。「備前楯山」と呼ばれる高さ約1300メートル、東西南北約4000メートル四方もある母岩の無数の割れ目に、鉱脈として銅鉱石が火山活動によって沈澱したものである。江戸時代の開業から昭和48年(1973)の閉山まで、約400年にわたって採掘された銅の総量は金属換算で約82万トンにのぼり、日本一の銅山であった。ちなみに、第2位の愛媛県別子銅山は約70万トン、第3位の茨城県日立銅山は約60万トンである。
銅を製造するための主な鉱石原料は黄銅鉱であり、鉱石中の成分は銅と鉄と硫黄である。鉱石を掘り出してから、鉄と硫黄を製錬により分離して金属銅を取得する。
まず、地表に出ている黄銅鉱(露頭)を探し、露頭が見あたれば、そこから鑿と槌で掘っていき銅品位の高い鉱石だけを掘り取って叺に入れて運び出す。鉱山の採掘法としては、江戸時代から明治時代初期までにはこうした方法によっていた。露頭を掘り下げていく「堅穴法」、露頭の走行にしたがって掘っていく「溝掘法」、地中深く鉱脈を追っていく「犬下がり法」、狸が穴を掘るさまに似た「狸掘法」などがあるが、いずれも人力で、坑夫が狭い悪条件下の空間で作業した。それゆえ、酸素欠乏・湧水・照明不良のため地表にちかい鉱脈だけしか採取できなかったのである。
次に、掘り出した鉱石は一寸(約3センチ)角ほどの大きさに砕いて、鉱石の岩石部分は選別して捨て、品位に高い部分を製錬行程にまわす。
そこでは、最初に選別した鉱石を地表と薪と一緒に燃やすことで、硫黄分を酸化して亜硫酸ガスとして追い出す。この行程は「野焼き」といわれる。その後、焼いた鉱石と木炭を粘土や石で固めた炉の中に入れ、着火過熱し、さらにふいごで空気を送り込んで高温にして鉱石を溶解する。この時に鉄分は粘土や石灰と結合してからみとなり、銅分は硫黄と鉄の一部を取り込んだかわとして分離することができるのである。かわのできた状態で炉を冷やしてかわを掻き出し、かわを取り出す。この行程は「荒吹き」あるいは「素吹き」といわれる。
取り出したかわは再び木炭を加えて炉に入れられ、ふいごを使って高温にして溶解する。これによって、硫黄分の大部分は分離され、鉄分は多少の銅を含んで上に浮かぶ(浮かんだものは「ドブ」と呼ばれる)。このドブを除いて、ようやく粗銅が得られるのである。炉から取り出した粗銅は鋳型に入れる。「真吹き」あるいは「再吹き」といわれる行程である。
このような採鉱や製錬の技術は幕末期まで行なわれていた。しかし、長い年月の乱掘の結果、足尾の山々は荒廃し、露頭の掘り得る所は掘りつくし、製錬設備も老朽化して行き詰まっていたのである。


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【3】足尾の交通の中心地・渡良瀬で、荷物の集積場や事務所・社宅があった。この地で、松木川と神子内川が合流して渡良瀬川となる。
(明治20年~21年撮影)

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【4】画面左手方向に、現在の通洞近く、かつて「宿」と呼ばれた足尾町の旧来の中心地がある。銭座もおかれ、足尾を訪れた英国の外交官、アーネスト・サトウも宿の泉屋旅館に泊まっている。
(明治20~21年撮影)

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1970年9月29日
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2007年05月10日 14:19に投稿されたエントリーのページです。

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