古河市兵衛の鉱山事業成功の鍵は、ひとつにはその巧みな人脈づくりにあった。特に陸奥宗光や渋沢栄一からは、会社運営、新技術の情報、人材の採用・活用などの面で強力なサポートを受けている。彼らとの親交の一部は先に触れたが、ここでより具体的に市兵衛を支援した人々を見ていこう。
渋沢栄一は、明治政府成立の前年である慶応3年(1868)に、徳川昭武に随行して渡仏している。この時、彼はパリ万博を見学、さらにヨーロッパを巡歴した経験を持ち、海外事業にも精通していた。彼は、市兵衛に福岡健良を紹介し、製錬と精銅の技術導入を担当させる。また、パリ万博に出品されて好評だった簡易鉄道・ドコビールを、平野富二(石川島造船創立者)を通して、足尾に持ち込んだ。薪・木炭の代替品としての、コークスの製造工場を東京・深川に建造することを勧めたのも渋沢である。
大島高任は、幕末の安政4年(1857)、南部半釜石で高炉による出銑を日本で初めて成功させた人物として名高い。明治4年には岩倉使節団に同行し、欧米視察旅行ののち、ドイツ・フライブルク鉱山大学に留学した。日本鉱業界の初代会長でもあり、内外の鉱山事情に精通していた。
大島は市兵衛とは数年間ではあるが、軽井沢銀山を共同経営し、佐渡金山鉱山長時代には、米国・コーネル大学に留学する前の市兵衛の養子・潤吉(1870~1905)に鉱山学の指導をしている。そして、釜石時代の部下であり、外遊経験のある山田純安を、古河の近代化要員として送り込んだ。