日本初の発電所
世界で最初の水力発電は1882年、米国のウィスコンシン州アップルトンに建設されたものである。ヨーロッパでは、それから数年後にドイツのフランクフルト・アム・マインにシーメンス社が建設し、1889年に試運転が始まった。
一方、火力発電は水力より3、4年前に始まっている。日本では明治21(1888)〜23年に関西・東京の電燈会社が導入して、開業したばかりである。古河でも、明治21年、東京・本所熔銅所にシーメンス社から火力発電設備を導入していた。
シーメンス社はいまだ試行中水力発電設備の採用を古河に働きかけ、明治22年に足尾・間藤水力発電所の建設に着工、翌23年12月に完成させた。その際、古河側は、発電が不成功の場合は代金を支払わないという一札をとったという。こうして日本で最初の産業用大型発電所が誕生した。営業用としては24年11月に琵琶湖疎水を利用してつくられた京都・蹴上発電所があるが、足尾より一年後のものである。
発電用水は、渡良瀬川源流の松木から約3キロの距離を、断面「3尺(約91センチ)四方」の木製の大樋を敷設して間藤まで運んだ。また段差は約30メートルであった。それ以降、下の表(※印が間藤発電所のもの)に示したように、明治30年までに足尾地区には十数ケ所に水力発電所が建設されている。
しかし、足尾地域の河川の水量では発電量に限界があった。そこで中禅寺湖を水源とする大谷川やその他の河川の水利権を買収し、明治36年から別倉・細尾地区で発電所を建設した。その電力を利用して、日光精銅所で精銅を行なうこととなる。
なお、火力発電も水力発電の非常用として、明治20年には本山発電所、32年には製錬発電所が建設されている。
古河は足尾での薪材節減という鉱害防止面での発想から水力発電のパイオニアとなるが、電力活用事業の拡大で人材が集まり、事業も古河電工・富士電機・富士通信機等々、底辺が広がっていく。電気・電力・情報市場の展開にあわせて、銅地金の供給や市場の電線やモーターの需要量も増加するなどの副次的効果もあった。さらには、のちの富士通・東芝・日立・ソニーなどにつながる人材を輩出することとなったのである。

足尾地区の水力発電所一覧。(高岩安太郎『足尾銅山景況一班』より)

間藤発電所の内部。撮影は明治28年以前。