赤貧洗うがごとき 田中正造 6月2日に足尾で放映された。
足尾に生まれた1人として、足尾の歴史を紐解き、光と影を受け入れることから
local Identityを醸成したい。
※なんとこの映画は、見れなかった!

1901年12月10日に足尾鉱毒事件について明治天皇に直訴した事は、有名である。
これには実際には、失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。直訴状は、幸徳秋水によるものに田中正造が加筆修正したものと伝えられる。田中正造は即拘束されたが、政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし(田中正造本人の言及による)、即日釈放された。当時、田中正造は死を覚悟しており、釈放後、妻カツ宛に、自分は(12月)10日に死ぬはずだったという意味の遺書を書いた。