小滝抗跡(日光市指定史跡)
明治十年(1877年)足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は、小滝の旧抗(250m先までの堀止)を利用し、
明治18年(1885年)7月にこの小滝抗を開抗しました。
明治26年11月には本山抗(間かく3005m)と貫通し、次に立抗で通洞抗(間かく3276m)とも連絡するようになり備前楯山にむかって3抗から採鉱がすすめられました。
この開抗の功労者は笈川清七と木部末次郎であり、当時下駄づくり小屋が一軒しかなかったこの土地に、小滝抗を中心に銅山の施設と集落が出現し、大正年間には、人口1万人余となりました。
昭和29年(1954年)銅山の経営合理化により小滝抗が廃止されるとともに銅山の施設が全部撤去されて今日に至っています。
当時の名残を小滝抗と前岸のさく岩機練習のノミ跡にとどめています。小滝坑の小抗は、旧抗の1つです。
昭和51年3月15日 日光市教育委員会


大正期に撮影された小滝抗
