銅山街道 「江戸経済を担う」 2 足尾
足尾の歴史は、銅山とともにあり、銅鉱脈は、慶長十五年(1610)に発見。その後この銅山は、幕府直営の銅山として発展、この地を治めた代官は、42人という。この銅を江戸へ運んだ道が「あかがね街道と呼ばれた。明治時代になり、一時は、衰退していた銅山が古河市兵衛の手腕で新しい銅山に生まれ変わり東洋一の生産量を誇る。しかし、昭和も後半になると産出も年々減少し、昭和48年2月古河鉱業は、閉山し、長い歴史の幕を閉じる。今の足尾は、観光を主とした町興しを進めている。「足尾銅山観光」温泉を利用した施設の充実。坑内から出る廃泥を利用した「足尾焼」など、恵まれた自然を生かしたハイキングコースや銀山平公園や銅親水公園の整備を進め、いま観光足尾を進めている。