足尾の舟石線を走りました。NO.6 閉山直前の本山の様子
本山は、、本山抗・鷹の巣抗の開抗につづき、明治17年〔1884〕に有木抗(本山抗)が開発されると同時に、鉱業所・選鉱所・精錬所・医局などの施設がおかれ、その後火力発電所や本山小学校の前身となる学校が設けられたりして、名実ともに足尾銅山の中心として大きく発展し、足尾は日本一の銅山になったのです。明治40年に、本山の労働争議をきっかに、鉱業所が掛水へ移りましたが、本山は北部地域最大の集落に形成されました。しかし、昭和48年(1973)2月28日に、足尾銅山が閉山となり、本山には、そのとき138世帯477人(10年前の昭和38年4月には、290世帯1167人)が住んでいましたが、その年の8月に遂に無人となりました。今は、鉱山神社がぽつりと、”つわものどもの夢の跡”を見守っているだけとなりました。