銅山の全盛期には、本山(ほんざん)、高原木(こうばらぎ)、久蔵(くぞう)、愛宕下(あいごした)、赤倉、深沢、南橋(なんきょう)、上間藤(かみまとう)、上の平、芝の沢、渡良瀬(わたらせ)、掛水、向原(むかいはら)、通洞(つうどう)、砂畑、中才(なかさい)、遠下(とおじも)、小滝(こたき)方面など町中のほとんどに社宅がぎっしりと建ち並び、鉱山のまち特有の景観をかもしだしていました。閉山とともにこの社宅もめっきり少なくなりましたが、現在でも一部が使用されています。社宅は全部が長屋形式で4戸とか6戸とかがつながっていました。屋根はトタンで水道やトイレ、浴場などは共同の場合が多く、近隣同士の交流は他では見られない深いきずなで結ばれていました。社宅のそばには、集会所、広場、道場、矢場、テニスコートやプールなどが備えられていました。そのほか火災の時の延焼を防ぐため、会社が考案して造った煉瓦を防火壁として使用していました。この煉瓦は からみ(鉱石を溶かすときにでるカス)を利用した黒い色をした珍しいものです。現在でも社宅あとに残っているのでみることができます。
そのほか、足尾の特徴としては明治時代に創立されたと言われる購買組合(現在では生活協同組合)形式の “三養会(さんようかい)” とよばれる売店を社宅の周辺に幾つも出して、品物を安く売る仕組みをつくってきました。この三養会は現在でも数店残り、利用されています。

銅山全盛期の通洞社宅/火災から住宅を守る防火壁