« 銅街道(あかがね街道) | メイン | 足尾銅山図絵「本絵」と「下絵」100年ぶり”再会” 下野掲載11月25日 »

馬車鉄道跡

 足尾銅山では、明治14(1981)年から相次ぐ  ※直利(なおり)の発見によって産銅量が一気に増えましたが、銅山で使う資材や働く人々の食料も大量に必要になりました。
 そこで、明治23(1890)年に物資輸送力を確保するために ※索道(さくどう)や軽便馬車鉄道をつくりました。 渡良瀬を輸送基地として町内各方面へ延びる軽便馬車鉄道網約25kmを整えました。
 今でもその遺構を町内のあちこちで見ることができます。神子内、切幹地区では、橋台部石積みと道跡が残っています。
 また、群馬県境付近渡良瀬川左岸に残る片マンプ(笠松片随道)は、深い峡谷を通すために固い岩盤をコの字状にえぐり取り、片桟橋を張り出す構造になっていたため、今でもはっきりとわかる町内に多く残されている貴重な産業遺産の一つです。

※直利(なおり);鉱床のなかで特に品位の高い部分。富鉱。
※索道(さくどう);空中ケーブル、スキー場のリフトを思い浮かべて下さい。

%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%EF%BC%93%EF%BC%90%E5%B7%A6.jpg
町内に残る軽便馬車鉄道跡・神子内

%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%EF%BC%93%EF%BC%90%E5%8F%B3.jpg
町内に残る軽便馬車鉄道跡・唐風呂

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://nikko-spot.chicappa.jp/cgifolder/mtfolder/mt-tb.cgi/865

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

2008年09月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

トラックバック

プロフィール

prof_img.png

名前
Onozaki
生年月日
1970年9月29日
正座
天秤座
特技
具志堅ジャンプ
座右の銘
焼け石に鮭

>> 管理人にメールを送る

フィード [フィードとは]

更新のお知らせメール

ブログの更新情報をメールでお知らせします。ご希望の方はアドレスの登録をお願いします。

About

2007年11月24日 23:22に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「銅街道(あかがね街道)」です。

次の投稿は「足尾銅山図絵「本絵」と「下絵」100年ぶり”再会” 下野掲載11月25日」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34