足尾銅山では、明治14(1981)年から相次ぐ ※直利(なおり)の発見によって産銅量が一気に増えましたが、銅山で使う資材や働く人々の食料も大量に必要になりました。
そこで、明治23(1890)年に物資輸送力を確保するために ※索道(さくどう)や軽便馬車鉄道をつくりました。 渡良瀬を輸送基地として町内各方面へ延びる軽便馬車鉄道網約25kmを整えました。
今でもその遺構を町内のあちこちで見ることができます。神子内、切幹地区では、橋台部石積みと道跡が残っています。
また、群馬県境付近渡良瀬川左岸に残る片マンプ(笠松片随道)は、深い峡谷を通すために固い岩盤をコの字状にえぐり取り、片桟橋を張り出す構造になっていたため、今でもはっきりとわかる町内に多く残されている貴重な産業遺産の一つです。
※直利(なおり);鉱床のなかで特に品位の高い部分。富鉱。
※索道(さくどう);空中ケーブル、スキー場のリフトを思い浮かべて下さい。

町内に残る軽便馬車鉄道跡・神子内

町内に残る軽便馬車鉄道跡・唐風呂