本山鉱山神社 敬神愛国の碑の建てられた時代を調べてみました。
「紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之」について調べたところ、恥ずかしながら「皇紀(こうき)」について知りました。神武天皇即位の年を元年と定めた紀元。正式には「神武天皇即位紀元」という。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。2005年は皇紀2665年になる。日本の歴史は皇紀による始めるゆえ、便宜上的は西暦より易く使えるが今はあまり使う人が見られない。インドネシア独立宣言書にも使われている。なお、神武天皇即位の年代は讖緯説にもとづいて決定された伝説上のものであり、紀元前600年代には日本は弥生時代であり、古墳時代にすらなっていない。
「紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之」は、西暦1898年、明治31年となる。
明治22年に本山鉱山神社が建築され、9年後に敬神愛国の碑が建てられた事になる。
この年足尾銅山では、1896年(明治29)の第一回鉱毒予防工事命令が下ってから、明治36年まで5回の予防工事命令の最中にあり、明治31年は世界唯一の脱硫塔が完成し稼動した年である。
脱硫塔の結果として古河は足尾銅山の稼業停止を回避することが出来たが、公害防止効果は完璧なものではなかった。特に製錬排ガスの処理については、脱硫塔の効率は50%以下で、効果は認められるものの現在の技術から見ると完全なものではないといわざるを得ない。 明治31年秋、大雨のため渡良瀬川が再び大洪水となった。鉱毒予防工事で完成した堆積場の一部が崩壊し、下流で鉱毒問題が再発する。