足尾製錬所は明治17(1884)年に、増大する製錬処理に伴い現在の地に「直利橋(なおりばし)分工場」としてはじまりまりた。明治26(1893)年からは「ベッセマー式転炉」により、32日かかっていた製錬工程を2日間という短期間で、さらに大量製錬できる最新技術を導入しました。
しかし大量製錬伴い亜硫酸ガスも増大しました。
足尾製錬所では、亜硫酸ガスを除去しようと改良を加えてきました。
昭和31(1956)年にはフィンランドのオートクンプ社から自溶炉製錬技術を導入しました。この方法は日本で初めて亜硫酸ガスを止めることができました。さらに煙からは副産物として硫酸を取り出す方式が確立されています。足尾で開発されたこの製錬技術は、日本や世界で現在も活用されている無公害の銅製錬方式です。
昭和48(1973)年に足尾銅山は閉山しますが、製錬所は輸入した鉱石を製錬してきました。平成元(1989)年、足尾線廃止に伴い、貨車輸送が困難になり製錬所は事実上の操業を停止しました。
製錬
鉱石から目的の金属を取り出す工程を「製錬」といいます。鉱石を溶かし銅を取り出す時に、鉱石の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなり山の草木を枯らしてしまう原因です。