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2008年01月 アーカイブ

2008年01月05日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載

田中正造物語第1 1面 文章 下野新聞.jpg

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 写真

足尾銅山を視察する田中正造

田中正造物語第1 1面 写真 下野新聞.jpg

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 24面-1

企画展の紹介 24面-1

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栃木新聞 田中正造1.jpg

 

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 24面-2

足尾銅山鉱毒被害地全略図 24面-2

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 24面-3

香魚皆無 24面-3

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 24面-4

明治18年10月31日付「下野新聞」3面 足尾銅山24面-4

P34-1-4足尾銅山.jpg

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 24面-5

田中正造の遺品 24面-5

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 24面-6

錦絵「憲法発布式之図」 24面-6

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2008年01月06日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 25面-1

田中正造物語 番外編

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 25面-2

田中正造 73年の生涯年表

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月1日掲載 25面-3

田中正造物語 「大きな存在 著作多数」

田中正造物語 大きな存在 著作多数.jpg

 

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 33面

郷土の足跡 世界に発信 「足尾銅山」「足利学校」

世界遺産 県内2候補 1.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-1

足尾銅山 宇都野火薬庫

宇都野火薬庫 世界遺産 県内2候補1.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-2

足尾鉄道 本山駅

足尾鉄道本山駅 世界遺産 県内2候補2.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-3

通洞抗

通洞抗 世界遺産 県内2候補3.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-4

古河橋

古河橋 世界遺産 県内2候補4.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-5

足尾銅山とは 地図「MAP」

足尾マップ 世界遺産 県内2候補5.jpg

2008年01月11日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月3日掲載

兼三郎誕生

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月4日掲載

変ぼうする生家

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月8日掲載

若き名主

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月9日掲載

六角家騒動

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月10日掲載

東北へ単身赴任

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月11日掲載

殺人疑獄

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2008年01月12日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月12日掲載 ①

政治家への道①

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月12日掲載 ②

政治家への道②

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2008年01月16日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月16日掲載 ①

栃木新聞編集長①

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月16日掲載 ②

栃木新聞編集長②

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2008年01月17日

高校時代のボクシング仲間の結婚式 1月14日

高校の3年間、共にボクシングをやって来た仲間の結婚式でした。

結婚式は本当にほほえましいですね!こちらまで幸せな気分になれます。

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久しぶりの同級生も多数参加で同窓会状態でした。

ガラが悪そうですが気のせいです。

結婚式 全員.jpg

披露宴前に何故だかこのビール本数「非常に悪そうな人が写り込んでいますが、かわいい後輩です」

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O&H.jpg

元ボクサーで消防署員のO君と、同じく元ボクサーでマントルと呼ばれた、リンパ癌を克服したH君「神宿る男」です。

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月17日掲載 ①

自由民権のリーダー①

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月17日掲載 ②

自由民権のリーダー②

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大正~昭和期に使用したカメラ「1」

当写真館で使用したカメラ 年代ものだがカメラのメーカーが分からない。
移動してみたが台車も動いた。

明治後期~昭和初期使用 カメラ1.jpg

大正~昭和期に使用したカメラ「2」

レンズはXenar(クスナー製)
他にレンズがTesser(テッサー)とダルメーヤが残っている。

明治後期~昭和初期使用 カメラ+レンズ2.5.jpg

エアーレリーズ(シャッター)が見あたらなかった。

明治後期~昭和初期使用 カメラ+レンズ2.jpg

撮影者がレンズに映り込んでいるが見逃して欲しい。

大正~昭和期に使用したカメラ「3」

蛇腹がテープで補強されているのが残念です。

明治後期~昭和初期使用 カメラ3.jpg

明治後期~昭和初期使用 カメラ4.jpg

大正~昭和期に使用したカメラ「4」

シャッターも開閉しました。エアーレリーズがあれば撮影できるかも・・・

明治後期~昭和初期使用 カメラ5.jpg

明治後期~昭和初期使用 カメラ6.jpg

エアーレリーズとシャッターをつなぐパイプが破損してます。(どうにかなるかな)
シャッター用のバネも交換したほうがよさそうですね!
撮影にむけ行動開始します。
いつになるか分かりませんが、撮影写真をUPします。

昭和30年に撮影した乾板(ガラスのネガ)が見つかりました。

サイズは4切サイズ(横30.5×楯25.4)×2枚

ガラスのネガ1.jpg

上記は、通洞病院での撮影 昭和28年頃 撮影

ガラスのネガ2.jpg

栃木県立足尾高等学校 昭和30年撮影

2008年01月18日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月18日掲載 ①

三島県令との闘い①

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月18日掲載 ②

三島県令との闘い②

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月18日掲載 ③

三島県令との闘い③

三島県令との闘い 3.jpg

2008年01月20日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月19日掲載 ①

県会から国会へ①

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月19日掲載 ②

県会から国会へ②

県会から国会へ 2.jpg

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月19日掲載 ③

県会から国会へ③

県会から国会へ 4.jpg

2008年01月22日

田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月22日掲載 ①

名物代議士①

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田中正造物語 下野新聞創刊130周年 2008年1月22日掲載 ②

名物代議士②

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本山鉱山神社(明治23年)建築献金と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資①

本山鉱山神社(明治23年)建築献金3279円53銭と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資2万円

本山鉱山神社(明治23年)建築献金3279円53銭①

社殿建築献金の碑 http://nikko-spot.com/blog/2007/12/post_546.htmlに3代鉱長 木村長七(きむら ちょうしち)の金500円をはじめ役員や抗夫頭外抗夫一同など、本山抗のあらゆる職種の人達が献金をし、その総額は、3,27953銭にも達した。抗夫の日当は下記鉱夫等級賃金表を見るに、男性で36~70銭で、当時は月に2日の休み、10~20円程度の収入であろう。当時の足尾銅山古河鉱業所の人員9964人との資料もあるので献金平均の算出できるが全くあてにならないであろう、けして豊であったと思えない生活をおくっていた抗夫の本山鉱山神社への献金に、足尾銅山黎明期の活気と心意気がうかがえる。

復刻版 足尾銅山図会 鉱夫等級賃金表(明治25~34年毎月2回発行)

鉱夫等級賃金表「支柱夫~女工」

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本山鉱山神社(明治23年)建築献金と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資②

古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資②

江戸幕府から明治にうつり、政府は産出量を増やすために鉱山のすべてを官営にしましたが、足尾銅山においては、産出量が伸びない為に明治5年、民営移行の方針が出されます。多くの銅山師が挑戦したそうですが大きな成果はあがりませんでした。

古河市兵衛のもとに足尾銅山譲渡の話が持込まれたのは明治9年の末だそうです。
 
廃山同然でだったこの鉱山を譲り受けることについては古河家のなかにも反対意見が多かったそうですが、市兵衛は反対を押し切って、2万円あまりの大金を支払って入手ました。明治10年のことです。その際、草倉鉱山の成功あり相馬家からの出資し、明治13年からは渋沢栄一も参加しての三者による共同経営となりました。

 

当時2万円とは、抗夫の日当36~70銭 平均の50銭×28日(実働)=14円×12月=年168円です。1りの五等抗夫が日当50銭かせで120年飲まずくわずで稼せぐ金額であります。
当時抗夫の手当ては、厳しい労働条件、落盤の危険、鉱山特有の病気などの理由により、非常に良かったと聞いています。現在の価値にすると月40~50万円位と換算すると、当時の2万円は約6~7億円となります。

古河市兵衛の鉱山事業成功の鍵は、ひとつにはその巧みな人脈づくりにありました。特に陸奥宗光や渋沢栄一からは、会社運営・資金調達、新技術の情報、人材の採用・活用などの面で強力なサポートを受けています。

復刻版 足尾銅山図会 鉱夫等級賃金表「機械職~女工」

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