原 敬(HARA TAKASHI)
南部藩家老の家の次男として生まれ、藩校を出て海軍兵学校を受験するが失敗して明治9年に司法省学校に入学したが、退学して一時新聞記者になるが井上馨の世話で官界入りし、そこで陸奥宗光に認められて政界の道が開けて古河と接触持つにことになる。
陸奥宗光外務大臣の時に外務次官を勤め、明治30年官界を去って大阪毎日新聞社長になり、33年に立憲政友会の創立に参加し、35年に衆議院議員となた。 大正2年に政友会第3代の総裁、大正7年には総理大臣となる。 爵位を持たず衆議院に議席を有する首相の初めての出現は平民宰相と歓迎された。 しかし大正10年東京駅で暴漢に刺殺された。
原敬35歳の時に陸奥農商大臣の秘書官となり,その関係から足尾との出会いが始まった。 明治38年4月、陸奥の次男・潤吉が古河市兵衛の養子になり、新会社古河鉱業会社の社長に就任するにあたり、陸 奥の長男.広告に頼まれて原啓は副社長として、病弱な社長を助けて2年間足尾を見ることになった。