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足尾の歴史 アーカイブ

2007年04月24日

足尾銅山の歩んだ歴史 足尾のはげ山の理由

足尾のはげ山の理由

はげ山の存在を、鉱毒(精錬所から出た煙「亜硫酸ガス」)によるものだけだと思っている方が非常におおいようです。
鉱毒問題も理由の1つですが、他に理由が4つ、全てで5つの理由から足尾銅山のはげ山(日本のグランドキャニオン)が存在す理由となる。

・銅の鉱石から、1㌧の銅を精製するための燃料の薪は、同じ重さの1㌧必要され、山の木、約一町歩(いっちょうぶ 9917.36㎡ )(10反)の木材を、1日で必要とした為である。


・山が丸裸になった原因のもう一つは山火事だった。山の火災は伐採後芽生えてきた芽を焼失させ発芽力を低下させた。この山火事の中で一番大きかった火事は1887年4月8日に松木村から発生した。これは祭火が風にあおられて燃え広がり約1100ヘクタール焼失した。これは中禅寺湖の大きさに匹敵する大火事であった。このような山火事が数回起った為である。

・足尾銅山の約400年の歴史で、長さ述べ約1200キロの坑道が掘られており、東京~博多までの距離にあたります。
その坑道全てに、崩れぬよう木材を組む必要があった為である。
勿論、専門の職人がいた。

・足尾銅山全盛期の住まいの多くは、古河の提供する社宅、坑夫長屋が数多く存在した。「足尾1000軒」とも言われた長屋の存在である。
それら全てが木造であり、また多くの材木を必要とした為である。

現在は、NPO法人 足尾に緑を育てる会などが、中心となって足尾の山に緑を復活すべく活動している。


以上

2007年04月30日

足尾駅まつり

足尾駅まつり
4月28日~5月1日まで、足尾駅まつりが、開催されています。
古河鉱業や、わたらせ渓谷鉄道の協力により、足尾の昭和初期に活躍していた車両が、
な・な・なんと、再び魂をこめられ、動いていました(DJとよんでました)。
中には、うごかな車両もありますが(キハ35 70)、展示場になっていました。
ん~、このノストラジックな感じが、本当に似合うまち足尾です。
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足尾の歴史を見つめてきた 山の神

山の神 足尾民芸
山深い足尾の谷々にも石器時代から人々が生活していました。
住民のおおくは、災難や厄病などをすべて魔の仕業と考えていたようです。
山の神はその魔を除き人々の幸せを守る神この神をを祭った処が、山の神という地名で今でも足尾の処々にのこっています。
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2007年05月13日

下野新聞5/12 足尾銅山世界遺産に向け一歩

下野新聞5/12 足尾銅山世界遺産に向け一歩
 「足尾銅山の世界遺産登録推進準備検討委員会」の発足!

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下野新聞5/12 古河が世界遺産への議論に参加!

世界遺産へむけ、足尾が動きだした。
住民の熱意が、「山」うごかす。
古河が世界遺産登録に「前向き」

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2007年06月04日

足尾観光のついでに変わったご利益「通洞鉱山神社」

足尾銅山観光の出口のすぐ前に、通洞鉱山神社があります。
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通洞鉱山神社(つうどうこうざんじんじゃ)
足尾銅山の本山坑、小滝坑、通洞坑の三山にそれぞれ山神社が建てられた。当神社は銅山最盛期の頃の大正9年(1920)に鉱業所がこの地に移設されたとき造営され、以後、山神祭も盛大に行われた。通洞坑の開発は明治18年に着手されたが、それまで足尾銅山発祥地の簀の子橋山神社を祀っていた。

因みに一風変わったご利益があるのでご紹介します。

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だれしでもいつかは年をとります、ちょっと心配なのは、「ぼけ」ではないでしょうか!
楽しい老後を送るためにも今のうちから祈っておいたほうがいいかもしれませんね。

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もう一つは、「いじめ」です。
いくつになっても、「いじめ」は、存在します。
足尾の澄み切った空気の中で、いじめ撲滅を誓いましょう。

2007年06月11日

足尾銅山の足字銭 寛永通宝 面白情報!

時代劇を見ていると、「おあし」という、言葉を耳にする。
「おあし」とは、寛永通宝のことである。
なぜ、寛永通宝を「おあし」と呼ぶのか・・・・・
一説には、足尾銅山でつくられた寛永通宝には、「足」の字が刻まれている、そこから「おあし」と呼ばれていた。・・・・・・・との事だ。なるほど

足字銭 寛永通宝 
寛永通宝(かんえいつうほう)は、日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨。寛永13年 (1636年)に創鋳、幕末まで鋳造された。
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足尾銅山で造られた足字銭鋳造枚数の間違いを紹介しています。 

こしあて

抗夫が自分にあわせて作った尻あて。
江戸、明治、大正、昭和と足尾銅山、約400年の歴史には、岩ばかりの鉱山の中で、少しでも労働環境を良くするための工夫が、沢山あったであろう思います。これもまたその知恵のひとつであり、足尾の文化です。
尻にあててみましたが、これなら少々とがった岩に座っても大丈夫。

足尾銅山観光のHさんに協力して頂撮影しました。

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カーバイトカンテラ

大正初期から昭和35年ころまで使用された、足尾銅山の抗夫が使用した、燃料型ランプ。
上部と下部に分かれたおり、上部に水、下部に燃料を入れ、上部に入れた水が下部の燃料に設定したタイミングで落ちて、燃料が水と混ざるとガス化され、丸い皿のような部位の中心から出てきて燃える仕組みだそうです。
皿状の部分を、磨けば磨くほど、反射よく明るくなるそうです。
面白いのは、カンテラをつるす針金で、抗夫のオリジナルがそこに現れるそうで、岩にかけたり、自分の肩にかけてりと、状況で対応させる為の工夫があったそうです。

しかし、実際に燃えているランプを使用するのは、ちょっと怖いですね。

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銅産量を飛躍的に伸ばした立役者「発破」(ダイナマイト)

「発破」と聞いてなんだか分かる方は、少ないのではないでしょうか。
「発破」とは、ダイナマイトの事で、銅山の岩を効率よく爆破して、進める為の作業のことです。
私の子供のころは、「発破作業」の前に、ウーーー!!!と言うサイレンの後に、山のほうでドカンという爆発音を、耳にしたものです。
その2、ウーーー!!!と言うサイレンの後に「発破」だ「発破」だ「発破」だと、意味もなく駈けずり回った記憶もあります。
下記は、閉山まで使用されていた発破装置と導線です。
ちなみに発破装置の上部、うす紫色の部分に、直径7/8㎜の丸い穴があるが、そこに鍵のような物を差込、ひねると爆破する仕組みだそうです。
「発破作業」を用い、延べ1200キロにも及ぶ足尾銅山内の坑道の長さが確認されており、「発破」という危険と隣り合わせの作業に、当時の緊張感が思い浮かべる。
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2007年06月12日

第二回トロッコ列車ファッションショ-

第二回トロッコ列車ファッションショ-が6月10日に行われた。
私はてっきり、ポスターに雨天中止の文字があったので、中止と勘違いしてしまった。

わたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車内で、大正ロマンをイメージさせる着物ファッションショ-と、
途中駅の花輪駅、通洞駅前でのイベントという内容だったそうです。
外でのイベントが中止になり、着物ファッションショ-は、行われた運びだそうです。
足尾が元気になる企画がもっと沢山出てくる事を、心より願っている。
もちろん進んで企画から参加したい。

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2007年07月02日

Mr.Bike 足尾特集 6月号

Mr.Bike 6月号に足尾特集の記載がありました。
俺たちの旅 「そうだ、足尾へ行こう!」 (前編)

足尾銅山観光のHさんから情報を頂きました。貴重な情報ありがとうございます。
雑誌記載後の観光客に、バイカーが増えた気がします。

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Mr.Bike 足尾特集 7月号

Mr.Bike 7月号に足尾特集の記載がありました。
俺たちの旅 「そうだ、足尾へ行こう!」 (後編)

後編で終了は、少々寂しいですが、まだまだ足尾の奥は、深い!
幾度と、足尾を探求してください。

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小滝へ行ってきました。 火薬庫 入り口

実は、火薬庫跡を見たことがありませんでした。
小滝にせっかく上るので、撮影しに来ました。
が・・・・
これは、火薬庫跡の入り口で、この奥に火薬庫跡があると言うではありませんか。
まずは、入り口で許してください。後日撮影してきます。

火薬庫跡は、今年重要指定文化財に指定される予定です。

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それにしても、重みを感じる建物です。

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壁の表面です。 この錆具合が歴史を深さを物語っています。
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小滝へ行って着ました。 小滝の里

昭和29年に、小滝抗が廃止され、小滝に住んでいた人々は、思い思いに山を去っていきました。
盛んであった小滝を偲び昭和39年に碑をたて「小滝会」を結成したそうです。
私の母も小滝生まれです。
ここまでは、狭い道が続きますが、小滝の里は公園のようになっています。
ちょっとした休憩、お弁当、記念写真の場として最適です。

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小滝にいって来ました。 小滝抗跡

小滝の里の正面に足尾銅山の小滝製錬所・選鉱所 跡があります。
小滝抗が開抗され、この地に製錬所(明治30年廃止)・選鉱所(大正9年廃止)が設けられた。
往時のレンガの跡が偲ばれる。
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小滝へいって来ました。 抗夫浴場跡

抗夫浴場跡です。
小滝坑の抗夫たちは、仕事を終えるとなにより先に、身体の汚れを流し疲れをいやすために風呂に入った。さぞ四方山話(よもやま)で賑わったであろう。
直径4m前後である。

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小滝にいって来ました。 小滝橋

明治20年に銅山便道として開削された小滝路に、唯一残された銅製の橋(長さ22.6m巾3.05m)で、大正15年に架設された。
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大正期に撮影された写真
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小滝にいって来ました。 小滝抗跡

小滝抗跡(日光市指定史跡)
明治十年(1877年)足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は、小滝の旧抗(250m先までの堀止)を利用し、
明治18年(1885年)7月にこの小滝抗を開抗しました。
明治26年11月には本山抗(間かく3005m)と貫通し、次に立抗で通洞抗(間かく3276m)とも連絡するようになり備前楯山にむかって3抗から採鉱がすすめられました。
この開抗の功労者は笈川清七と木部末次郎であり、当時下駄づくり小屋が一軒しかなかったこの土地に、小滝抗を中心に銅山の施設と集落が出現し、大正年間には、人口1万人余となりました。
昭和29年(1954年)銅山の経営合理化により小滝抗が廃止されるとともに銅山の施設が全部撤去されて今日に至っています。
当時の名残を小滝抗と前岸のさく岩機練習のノミ跡にとどめています。小滝坑の小抗は、旧抗の1つです。
昭和51年3月15日 日光市教育委員会

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大正期に撮影された小滝抗
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小滝へいって来ました。 小滝小学校・第3中学校 跡

小滝小学校・第3中学校 跡 
看板の横から階段がありました。
母の母校とも聞いていて、興味深深で散策しました。
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この階段を2・3回折り返すと、学校の跡です。
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耳を澄ますと鳥の鳴き声と、虫の音だけ・・・・・
静寂のなかに、大正・昭和の小滝小学校・第3中学校の賑わいを想像して見ました。
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熊が出る事もあるそうです。
気おつけて散策下さい。


2007年07月06日

艦上戦斗機「足尾号」 1944

艦上戦斗機「足尾号」 昭和19年 
太平洋戦争に勝つために足尾町民の献金でつくった艦上戦斗機「足尾号」
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目で見る足尾の100年 第5集より

「足尾号」の文字が確認できる。
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当時の標語
「一機でも多く飛行機を!」
「進め1億の火の玉だ!」

2007年07月13日

本山小学校と旧本山迄の線路

現在足尾小学校が完成するまで利用されている本山小学校と、利用されていない旧本山迄の線路。

廃校目前の学校と、使用されていない線路・・・・錆びた鉄橋、寂しさと、懐かしさが混在する。

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下の写真は、1メートル先の線路にピントを合わせてみた。

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2007年07月15日

とちこみIN日光 7月号 足尾掲載

とちこみIN日光 7月号 足尾掲載されています。

田中正造と足尾鉱山についての記事

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2007年07月16日

間藤水力発電所跡 

間藤水力発電所跡を撮影しました。

日本で初の水力発電所である。

銅山の動力源、薪、木炭に変わるべきものとして、ドイツのジーメンス電気機械製造会社より、技術を導入し

たものだそうだ。

なんと400万馬力の電力! 鉄腕アトム4人分である・・・・・・・・

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水が落ちた、大鉄管跡。

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大鉄管のある、道路挟んだ反対側の川には、発電所の館の名残を見ることが出来る

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足尾銅山のトロッコは、アプト式

お客さん:このトロッコは、アプト式なんだ!

私    : ?・・・・・・・・・・・

私    : そうなんですか・・・・

皆さんアプト式をご存知ですか!

アプト式とはこれだ!ワン、ツー、スリー

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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

アプト式(Abt system)とは、ラック式鉄道の方式の一つ。アブト式ともいう。開発者カール・ロマン・アプト(de:Carl Roman Abt 1850-1933)の名前に因む。「アプト」はドイツ語読み。

日本の営業用路線ではこの方式によるラック式鉄道しか存在しなかったため、ラック式鉄道そのものを「アプト式」と誤解して呼ぶ事がある。

なおラック式鉄道にはアプト式の他に、リッゲンバッハ、シュトルプ、ロッヘルの各方式があり、いずれもスイスの鉄道に現存している。

種々あるラック式鉄道のうち「アプト式」とは、複数のラックレール(Rack-rail)およびピニオンギア(Pinion-gear)を位相をずらして設置する方式を指す。複数の歯の位相をずらす事により、駆動力の円滑化および歯の長寿命化を図った。

古河橋を撮影してきました。

古河橋を撮影してきました。

足尾銅山の誇れる産業遺産の1つです。

明治23年(1890)ドイツ・ハーコート社製。 %E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A3%BD.jpg

形式・鋼鉄製、木床版、単径間ボスとリング・ワーレントラス式 ピン結合 

橋長48.5mで、上弦材にH形鋼を使用した珍しい形式だそうです。

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足尾銅山社宅 愛宕下(あたごした) 

足尾銅山社宅 愛宕下(あたごした) を撮影しました。

愛宕下(あたごした) の「赤長屋」と呼ばれた社宅です。 昭和31年には181世帯819人の人口を数えたそうです。 世界遺産登録を目指す、この地区として、ここに付加価値を与える案が必要であると考えます。

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2007年07月17日

管理棒

足尾銅山の中でも管理者が使う「管理棒」とやらを紹介します。

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この棒を所持して、管理職の方が坑内を点検したそうです。

実際に足尾銅山にお勤めだったから、譲り受けた貴重な「管理棒」で、かなり年期が入っています。

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丸いほうで岩、レール等をたたき、音などで状況を判断するそうで、

とがった方で、ダメージのある岩等を、崩すのに使用したそうです。

よく見ると棒のほうに、5cm間隔にノコギリで傷が入っており、スケール代わりにもなるそうです。

また、足尾には、古河専門の鍛屋も存在しました。

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このロゴ!センスがいいですね!

しかし、残念ながらあとづけだそうです。

 

かつら 砕かれた鉱石を集める道具

かつらを撮影しました。

砕かれた鉱石を集める道具です。

握る木材部分が曲がっていますが、これは工夫のオリジナルだそうで、採掘場所や、好みで曲げの角度がまちまちであったそうで、工夫のこだわりがうかがえた箇所でもあったそうでう。

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鉄の部分は、古河から支給されたものだそうでう。

非常に良く出来ている構造に、驚きました。

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足尾銅山物語

足尾銅山物語 著者 小野崎 敏
叔父が、小野崎一徳写真帖 足尾銅山 に継ぐ2冊目、足尾銅山物語を出版。

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2007年07月23日

源さんの足尾銅山採掘紀行 必見 

源さんの足尾銅山採掘紀行を見てから、銅山観光を見学してみよう。

銅山観光のトロッコ列車の乗車前に、5分程度のビデオがある。

5分では語りつくせないが、事前勉強が出来なかった方には、お勧めのビデオである。

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ローダーでの鉱石の積み込み作業!

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こんな感じで、ビデオをみてから、展示品を鑑賞すると面白い。

 

2007年08月06日

通洞 役員住宅を撮影しました 玄関

通洞 役員住宅を撮影しました。

いろいろな方の協力をいただきまして撮影できました。

特にHさん、ご協力ありがとうございました。

歴史的にも価値がある役宅であると思います。

現在は、使用されておりませんが、8年ほど前までは、利用者があったとのことです。

今後、足尾の地域活性に役立っていく場所であってほしいと願っています。

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玄関前

役宅玄関前1.jpg

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玄関 3.jpg

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通洞 役員住宅を撮影しました 廊下A

通洞 役員住宅を撮影しました 廊下A

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玄関A 縦.jpg

通洞 役員住宅を撮影しました 10畳和室

通洞 役員住宅を撮影しました 10畳和室

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10畳和室から廊下Bにかけて

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10畳和室 出窓

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10畳和室床の間

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通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和押入付室

通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和押入付室

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8畳和押入付室 床

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8畳和押入付室 天井 欄間

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通洞 役員住宅を撮影しました 風呂

通洞 役員住宅を撮影しました 風呂

通洞 役宅 見取り図.jpg

風呂場 窓

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風呂場 天井 電気

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下記電気を、棒状の器具(現場になかった)を通し、直接浴槽の水に入れると、

お湯が沸くそうだ。 冬は、かなり時間がかかるそうだ(半日くらい)

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浴槽の写真がありません・・・・・・・・          

通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和室 右上

 通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和室 右上

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6畳和室から見た8畳和室 

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8畳和室 欄間 (神棚は、6畳和室)

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8畳和室 欄間 アップ

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 通洞 役員住宅を撮影しました 廊下B